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看板の歴史

日本の看板の歴史

日本の看板の歴史はとっても古いんです。なんと、法律で定められていたんです。


日本では藤原京(694年遷都)→平城京(710年遷都)頃の東西両市でお店の標としてつけられた牒が標牒と呼ばれ使用されていました。

この頃の「大宝律令」(701年)の修正版、令義解(833年)の中に、「都で毎月開く市には、商品を標識で示すこと」といった法律の記述を見ることができます。”この標(標識)が看板の始まりとされてます。

大宝律令

大宝律令(たいほうりつりょう)とは、飛鳥時代の701(大宝1)年に制定された律令政治の基本法です。
文武(もんむ)天皇の命令で、刑部(おさかべ)親王・藤原不比等らが中国(唐)の法律を参考にしながら、日本の実情に合うように編集した。律6巻、令11巻です。

この頃の標はおそらく布に商品名を記して旗につけたものが立ててあったのだろうと推測されています。また、標ではなく実物が吊るされていたりもしたようです。

708年に貨幣が鋳造されていることから当時は物々交換が中心の時代であったようです。

初期の看板は絵馬額スタイルのものが多く、文字ではなく絵だけが描かれていました。

日本に残っている一番古い看板は、お菓子屋さん「虎屋文庫蔵」の御饅頭所の衝立看板と言われています。時代にすると鎌倉時代です。

その頃からお店で扱っている商品やサービスを、分かりやすく表現した絵馬のような看板が登場してきました。
今風に言ったら「イラスト看板」でしょうか。


※1 簡板とは紙の発明以前に、文字を記した竹や木の札のことです。簡・札(”ふみた”と読みます)と同義

※2 鏡板とは壁・天井などに張る、平らで滑らかな一枚板。要は簡板よりサイズが大きくなったということと思われます。


平安期には暖簾(のれん)が使用されて、鎌倉末期には木簡→簡板(※1)→鏡板(※2)が使用されるようになりました。この頃には絵だけではなく文字による屋号が書かれるようになって看板的性格が顕著になってきます。

そして室町時代から簡板・簡版(かんばん)として定着し、桃山時代には暖簾に屋号や商品名が入れられ図案も商標としての性格がより強くなりました。

安土桃山時代末期〜江戸時代から看(み)せるための板(いた)ということで看板(かんばん)として定着していったと考えられています。それ以前は”鑑板”の文字もあてられていました。

看板の文字は凹に彫り、印鑑・版木は凸に彫っていました。

看板彫刻の技法は「薬研(やげん)彫り」といって、文字自体をV字型に彫るのが主技法です。「薬研」の語源は、漢方薬などを粉にする舟形の器の形状から来ています。

※この時代でも看板の内容は基本的に絵や図が多かったようです。文字の読めない文盲人も多く、そういう時代背景も看板に現れております。

このように看板の歴史を振り返ってみると、商品を看板の代わりに飾ったり、商品と同じ形にした看板が非常に多いと感じてしまいます。また、文字のみの看板はあまりなくて絵や図が彫ってあることが多いようにも思います。歴史的には絵 or 形状 + 文字の組み合わせが王道かもしれません。

そして江戸時代には、洒落や語呂合わせなどの言葉遊びを活かした看板や、「看板娘」「看板を降ろす」などの現代にも使われている言葉も数多く生まれました。

看板は、工芸・書画に、商魂たくましい、商人の洒落が融合した、素晴らしい日本文化だと感じます。


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Last update:2019/9/4

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